ホスピタリティ産業の中にはその職業上の人格を仕事のときはもちろん、プライベートな分野でも、ある程度演じなければならない場合が多々あります。
CAや看護師さんなどがその例で、とくに業務の現場では自分の本来の感情は、それが業務に似つかわしくないものである場合は徹底的に抑え込むことが要求されます。
お客さんや患者さんがどんなに嫌な奴でも「死ねや、ボケ」とは言えません。このような職業を感情労働というそうです。
しかし、ゴーゴーバーのように男女のセクシュアリティが焦点となる対人接客サービスではその限りではないようです。個人的な感情が往々にして業務の領域を侵食するケースがあります。
デリヘルでデブスが来ちゃっても、良いサービスを受けたかったら愛想よくしなきゃいけないのは、そういうことでしょう。(そうなの?)
好き嫌い以上に、とりわけ恋愛感情はコントロールしづらいようです。
そもそもバーガールたちの仕事はプライベートと仕事の線引きがあいまいです。であるからして、ゴゴ嬢と客の関係もカネを引き出すために恋愛関係や媚を演出したつもりが、演出ではなくなってしまうことも頻繁に観察される、と著者が言うのもまあ頷けます。
そして著者曰く、「そもそも彼女らの仕事は大きな論理矛盾をはらんでいるのだ」と。
著者がいう矛盾の最たるものは、売り上げをあげるために〝親密さ〟を売っているという点です。
〝親密さ〟は取り引きの関係を介していくうちに自然と生じるもので、本来はそれ自体商品になるものではないのです。
だから〝親密さ〟を演出しているうちに、それが演出でなくなってしまうのは、ある意味当然の成り行きだとも言えます。
そんな矛盾に満ちたゴーゴーバーは、矛盾ゆえにいろいろな期待が膨らむという点で、ホストの側からもゲストの側からも魅力的にうつるのかも知れません。
このようなバーガールの仕事は、従来のサービス、ホスピタリティ、感情労働の概念ではとらえづらいことから、著者は〝オクシモロニック・ワーク〟という概念を提案しています。
これ、昨日も出てきましたよ。オクシモロニックっていうのは「公然の秘密」のような一見矛盾をはらんでいるかのような言い回しでしたね。
男性客はゴゴ嬢に〝私的な親密さ〟を求める傾向にあります。
しかし、〝私的な親密さ〟とは、そもそもカネのやりとりとは離れたところでの関係性です。だからこそ、相手に対して心を開くこともあるだろうし、自分の弱い部分をさらけ出すこともできるのです。
〝私的な親密さ〟が経済外的な関心で支えられるものと定義したとき、〝それを売る仕事〟という概念はオクシモロニックだと言えるでしょう。
〝私的な親密さ〟を求める男性客の要望に応えることで経済的利益を得ようとするバーガールの仕事はそんな論理的矛盾を常に抱え込んでいるといえます。
きっちり演技を通すことができれば、この矛盾はないもののようにすることは可能です。しかし、それが常に上手く行くとは限らないし、それは仕事モードでは一切自分の〝素〟を隠し通すということです。そんな銀座の女のようなスキルをゴゴ嬢に期待することは難しそうです。
また、かつて本書でも指摘したように、多くのバーガールたちの目標はものすごい大金を稼ぐことではありません。お客とほどほどに仲良くして楽しく時間を過ごせれば、それで良しとする女のコも少なくないのです。
それゆえ、彼女らは時おり頭をもたげる仕事以外での感情を抑えこまなければいけない義務はありません。経営者からそれを強制されているわけではないし、職業倫理としてしてはいけないというルールもない以上、彼女らは〝私的な親密さ〟を売るよりも、お客とホントに私的に親密になる関係を選ぶのです。
こういう観念の話は書いている本人もわかりづらいです。
どれだけ読んでいる人に伝わったのかははなはだ疑問ではありますが、それ以前にそもそも元の本を読んだ僕に著者の意図は伝わっているのか、という問題が。
何も考えずにゴーゴーでハイネケンを呷りたい気分です。
この章、なかなかの難所です。全然進まねえ。