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雨上がり解散報告会に見た蛍原の決意


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ANN NEWSより


 

 

2年ぶりの『アメトーーク』のスタジオでのツーショットが見納めとなってしまいました。

17日夜、雨上がり決死隊が「アメトーーク特別編雨上がり決死隊解散報告会」という動画をYoutube、ABAMAで配信、解散を発表した。

「雨上がり決死隊、平成元年に結成しまして約32年経ちましたが、本日をもちまして解散いたします」

 

挨拶の口火を切ったのは蛍原のほうだった。

「2年間コンビの活動はまったくなく、バラバラに1人ずつやってきました。その中でやっぱり僕の中でですね、宮迫さんに対する気持ちが、ちょっとずつズレが生じてきたかなと思います。もちろん最初はコンビで、二人で戻って来たいと思ってました。それでも宮迫さんがYoutubeを始めたあたりから価値観や方向性の違いが大きくなってきたような気がします。なんか、苦しいな、しんどいな、とずっと思ってました」

 

こんなによく饒舌な蛍原を見たのは初めてのことではないでしょうか。

思わず宮迫も「話上手くなったな」とツッコんだほどでした。

それを受けての宮迫のコメント。

「デビュー当時から僕のやることに蛍原さんはついてきてくれたところがあったんで。今回のことに関しても僕の方から逐一説明すべきやった。そういうところの僕の至らなさがズレを生んでしまったので」

コンビでの復帰を目指していた宮迫としては不本意なのでしょうが、いちおう納得ずくでの解散だったようです。

 

解散を切り出したのは蛍原からでした。4月のことだったといいます。

19年の闇営業問題で7月に宮迫は吉本興業を退社、コンビの活動は停止に。しかし、この時点では蛍原にはまだコンビ復活の意思があったようです。

「蛍原の思い描いていたのは、全国の劇場をお詫び行脚して舞台で一から出直す──このプランは雨上がり復活の青写真として具体化されかけていたそうです」(芸能記者)

 

風向きが変わったのは20年1月に宮迫がYoutubeを始めたことでした。

「復帰のための方法、手段に対するお互いの考え方のズレを蛍原は感じたようです。おそらくコンビ復帰のプランのために動いていた人たちのこともあったのでしょう。とくに蛍原が引っかかったのは、宮迫がYoutubeデビューしたのが、彼同様に闇営業問題で謹慎していたロンブー亮の復帰会見の前日だったこと。宮迫にしてみれば事情があってそのタイミングになってしまったことを理解しつつも、許せなかったようです」(同前)

 

コンビでの活動中止から、宮迫は事あるごとに「蛍原の隣に戻りたい」と発言してきました。Youtubeはあくまでそのための手段だと。しかし、宮迫にしてみれば蛍原と再び仕事をするための手段が、二人の間の溝を深くしてしまったのは皮肉です。

 

宮迫のコンビに対する熱い想いほとばしるコメントに対し、この2年近くの間に蛍原が宮迫について語ったコメントは、今にして思えば冷静なものが多かった気がします。

昨年9月、週刊誌の直撃取材でコンビ復活について次のように語っていました。

 

――コンビでまた活動することはありますか?

「いや、それはもう、僕自身が決めることでもないんで……。やっぱり、皆さんに協力していただかないと実現できない話ですし。頑張りたいんですけどねぇ」

――なかなか難しいのですか?

「アイツは今、吉本じゃないですからね。(立場は)微妙に違ってきますよね」

――蛍原さんの気持ちはどうですか? 宮迫さんとまた一緒にやっていけますか?

「もちろん……でも、現在の状況はねぇ……今はもうわかんないっすよ……

 (FRIDAYデジタル20年9月1日)

 

蛍原は 昨年1月から1年以上の間、悩んだと言われていましたが、実は意外と前から心は決まっていたのかも知れません。

「報告会」冒頭の饒舌な喋りに彼の固い決意が見てとれたように思いました。

 

 

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