よるのたび、02年に行った沖縄からイスタンブールまで、できるだけ地べたを行く旅。前回はインドのコルカタでしたが、ここでどーんと飛びます。
なぜなら、ずっと酒とも女性とも無縁の禁欲地帯をずっと旅していたからです。
コルカタを出たあとの僕は聖地・バラナシで多くの人が人生観を変えるというガンジス川と河原で焼かれる死体を見たあと、ネパールへ。
インド人に疲れてネパール人に癒される、という話はよく聞くので期待して行ったものの、しょせんネパール人も羊の皮を被ったインド人ということを思い知らされ、再びインドへ。デリーでイランのビザを手に入れて北へ向かいます。
インドからちょっと前まで紛争で閉鎖されていたという剣呑な国境を越えてパキスタンへ入りました。道中には戦車の残骸などがあったりしてなかなかの緊迫感でした。
このあたりまで来るとさすがにバックパッカーも濃いのが多くなります。他に娯楽もないので、そういうのとつるむ日々が始まります。だいたい若いやつばかりなので、賑やかな街だったら僕みたいなおっさんは敬遠されるのですが、向こうも話し相手がいないのでわりとウェルカムです。
観光とバックパッカーとつるむことしかすることもないので、このあたり結構駆け足での移動です。一都市あたり2~3日しか滞在していません。
パキスタンも国境の町・ラホールから中部のクエッタに立ち寄っただけで、一気に鉄道で南下して国境へ。イランへ入ります。
そして、国境の町・ザーヘダーンは麻薬中毒者や業者が多く物騒だとガイドに書いてあったのですっ飛ばして、バスで数時間ほどの小さな町・バムに着きました。
バムは砂漠のオアシスに出来た小さな町で、郊外にサファヴィー朝ペルシア(16~18世紀)時代に作られたアルゲ・バムという城砦と城下町の広大な廃墟があることで知られています。2年後の04年には世界遺産にもなるこの廃墟を観光するため、というのは言い訳で、数百キロ移動してきたので、このへんで一泊したかったのです。
ここは本当に小さな町らしく、幹線道路沿いのバスターミナルで降ろされて町まで30分ほど歩きました。ホテルもゲストハウスが2軒あるだけのようです。
チェックインしてドミトリーに入ると、日本人2名が先客でした。
パキスタン北部で登山をしてきたという20代のむさくるしい山男風と、やけに育ちがよさそうな小ぎれいな大学生です。
山男は挨拶もそこそこにビニール袋パンパンに入った鶏の足を僕たちに見せました。足、と言っても肉がついている部分ではなく、いわゆる〝もみじ〟というホントに〝足〟の部分です。
「町の肉屋で買ったんです。珍しいでしょ」
これでこれからスープを作るから食べないかと言います。
ここまで歩いて来た感じで近くに飲食店はなさそうだし、時間もけっこう遅くなっていたので、この日はこのままここで夕食にすることにしました。
山男は荷物からキャンプ道具を取り出し、小さなアルミの鍋で鶏の足を煮はじめました。
30分後に出来たしろものは、お世辞にも食べ物に見えるそれではありませんでしたが、僕ら3人はそれをおかずに各々持っていたパンにかぶりつきました。
鶏の足にわずかにへばりついた皮と肉をこそげとるように食べると、それなりに鶏肉の味がします。スープはあまり出汁がでておらず、微妙な味でした。
色気も何もまったくなく、更けていくバムでの第一夜でしたが、僕はここで思わぬ艶っぽい体験をすることになります。
(続く)
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