「パパ活女子」を読んでいます。
昨日はパパ活におけるP側のニーズについて読み解いてきました。
ではPJ側のニーズは何かといえば、それはシンプルにお金です。
しかし、パパ活という定義のあいまいなやりとりの中でPJには、Pが何に対してお金を払っているかを理解せずに接している場合も少なくなく、P側がおおいにもやもやするという状況が多発しているようです。
その象徴的な存在として、SNSなどで論争を呼んでいるのが「茶飯女子」です。
お茶だけ、ご飯だけで高額のお手当を要求する女子を指す用語ですが、お茶だけ、ご飯だけの付き合いだったらみんなが「茶飯女子」というわけではありません。
本書では次のように定義しています。
①お茶やお食事のデートを希望して、肉体関係を含む交際は希望しない。
②男性のニーズに興味がなく、無視する。
③自分の時間を売っている意識がある。
この条件が3つとも当てはまるのが「茶飯女子」なんだそうです。
つまり〝大人〟に至らないデートでも、場を盛り上げてくれて楽しい時間をともにすることでPが満足すれば、その限りではないということです。
本書では「茶飯女子」に分類されるPJ何人かに話を聞いています。理由はさまざまですが、とにかく大金を稼ぐためによりたくさんのPから茶飯だけでお金を引っ張る彼女たちの姿が本書には書かれています。
「大人」を持ち出された途端に関係を切るケース、500万貢がされたPがストーカーと化して逮捕されてしまったケースなど、P側が満足していないわけですから、えげつない話になってしまうのはいたしかたないところです。
彼女たちに共通するのは、おじさんは「若さ」に対してお金を払っているのだという誤った認識です。まあ女子18~25歳ぐらいって無双ですもんねえ。
で、「おじさんは自分たちの恋愛対象の範疇にはまったくない生物だから、若くて美しい自分たちが彼らに対して時間を遣うことに対してお金を受け取るのは当然」というような意識があるのだといいます。
だから、彼女たちは一緒にお茶をしても、おじさんと楽しい時間を過ごそうという意識はさらさらありません。とにかく時が過ぎ去るのを待つのみ。いたたまれない時間を過ごしたおじさんはもやもやした気持ちで彼女に高額のお手当を渡すことになります。
女子たちは「おじさんとお茶やごはんを一緒にするだけでお金がもらえる」という誤解をしたまま、パパ活に入っているケースが多いといいます。これが昨今「茶飯女子」が増殖している一因だと本書は指摘しています。
SNSでよく論争になる「顔合わせのお手当論争」もこの一例でしょう。
そもそも「顔合わせ」はパパ活の前段階に会って条件などを確認する場であり、お手当は派生しませんでした。
それを「手ぶらで返すのも悪いから」ということで一部のPが気持ちとして交通費程度のお金を包む程度だったのがいつの間にかお手当化したようです。
最近はその顔合わせだけで1万以上を要求する女子が増殖して話題になっています。PJ側の言い分の中に「自分の時間をおじさんのためにつかってやっているのだから、お金を払うのは当然」という趣旨の主張がちょいちょい見られるのは「茶飯」の典型といえるでしょう。
そもそも、P活市場は他の出会い系とは真逆で、男性側が圧倒的優位な市場だといわれています。本来であれば、市場原理がはたらいて高かろう悪かろうなプレイヤーは退場していくはずなのです。それがなかなか働かないのは、やっぱりP側に甘さがあるのかなあ、などと思ったりもしました。
本書では、他にも学生にPJが多い理由や、底辺Pに買い叩かれる中年PJの悲劇などにも触れられています。
パパ活の現状を変な色眼鏡なしに切り取った一冊です。
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