Gダイの『ゴーゴーバー最強マップ』とコラムでパッポンの歴史を振り返るシリーズ、今回は2006~2010年です。
パッポンの地図を見ていてナナやソイカなど他の地域とくらべてあまり面白くないのは店の顔ぶれにあまり変化がないところです。〝キングス系四天王〟と言われる『king's Castle2』から並んだ4店+『Super Star』までのラインナップは北極星のごとく不動の存在感ですし、他の店の顔ぶれもそんなに変化はない…っていうか地図右側は誰もあまり気にしていないというのもありますがw
新しい顔ぶれでいえばパッポン2の『Black Pagoda』『BADA-BING』『The Strip』あたりでしょうか。中でも『The Strip』は個室でのサービスがあるという斬新な店でした。
まあ、あまり流行ったという話は聞きませんがw
『The Pink』こと『Pink Panther』は06年ごろにカクテルディスコパブに模様替えしております。要は現在のレイアウトになったんだと思いますが、しばらくの間はマップ上ではゴーゴーバーを示すピンク色の表示ではありませんでした。
また『King's Castle3』がLBの店としてコーナーと並んで存在感を増しています。
コラムではキングス系以外に『Electric Blue』や『Thigh Bar』あたりがコラムで取り上げられることが目立ってきましたね。
この時代はナナプラザの『RAINBOW4』やソイカの『Baccara』などが人気を集め始めていた時期でもあります。もはやパッポンはナナプラやソイカで目が肥えてしまったお客さんたちにとって満足できる場所ではなくなってきたようです。
他地域の人気上昇、そしてパッポン全体のレベルの低下とサービスの悪さでパッポン離れがどんどん加速していきます。この当時は僕もほとんどこのエリアに足を踏み入れてません。
これまでゴーゴーバーコラムを担当していた羽井根健太郎氏ですが、この時期は露骨にやる気のなさが如実にコラムに感じられるようになります。とくにパッポンに関してはそれがはなはだしくて、コラムの半分以上をパタヤのゴーゴーやカンボジアの置き屋の話が占めるようになります。
昔は パッポンも恋人ごっこが楽しかったものです。
バンコクに出てきたという娘たちは「両親に毎月5000バーツ送ってくれて、私にも毎月5000パーツくれたら、GOGO なんか辞めてあなたと一緒に住むわ」なんてウブな娘が現在とは比較にならないくらい多かった。
今やメンダー(ヒモ)を2~3人持ち、パトロンの日本人を持ち、女王、 姉御としてインリン様ばりに君臨するのがGOGO 嬢のステイタスであります。
アジアンガールといえば、ベトナムガールは 5~6年前にカンボジアのプノンペンに来ていた中には、ピカイチが多くいましたな。 多くはホーチミン出身と言ってましたが、本当はカンボジア国境あたりの村出身というのが有力な 情報です。
国境ポイントのバベットにはカジノが7軒営業中 (さらに2軒建設中) で、さらにベトナムガールの置屋がいくつか開業したらしく、 期待できないものか......。
さてパッポンですが、 ホテルも、GOGO のドリンクも高いです。パタヤならウォーキングストリートでも500~600 パーツのホテルが結構あります。 ドリンクは生 ビール 55 パーツ~が標準です。 これからのマニア オブ イサーンガールの入門所はパタヤがお勧め。
パッポンの情報がほとんどないw てかパタヤをお勧めしてるしww
10年に羽井根氏はコラムの担当を降りてしまいます。この後何代か担当者は変わるのですが、バンコクの3代ゴーゴー密集地帯を常にくまなく観察していたのは彼だったと僕は思うのです。
(追記:羽井根氏は10年で完全に降りたわけではなく、11年にも何回かコラムを担当しています。パッポンの欄は半分ぐらいジュライホテル跡のミャンマー人娼婦の話でしたがww)
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