20年の春です。
13年以降もタイには年に3回ペースで通っておりました。
ただ、15年の冬から19年の夏までは転職して飲食関係の仕事をしておりまして、そこがなかなかブラックな労働環境でした。長期休暇は年に5日間しかなく、その5日間の休暇さえ取れなかった年もありました。
ですので、その間は年に1回行ければいいほうでした。
タイの場合、行き帰りで1日ずつ潰れるパターンが多いので、5日間という日程はなかなか落ち着かないです。
それでもそんなブラック企業での年季を明けて、晴れて海外の企業に就職が決まったと思ったら、以前から抱えていた持病が悪化して帰国せざるをえなくなりました。
幸い、転職前の仕事に再び就くことができたので、これで心おきなくタイに通えるぞ、と思ったら、今度はコロナがやってくるわけです。
僕がタイに行った3月中旬は、ぼちぼちコロナというものが社会に深刻な影響をおよぼすものなのだということに、日本中の人々がうっすらと気づき始めてきた頃でした。
2月にクルーズ船の騒ぎはまだまだ他人事でしたが、3月に入ってプロ野球やJリーグの開幕延期やセンバツの中止などが決まった頃です。
まだ、海外のほうがコロナは深刻だ、というイメージがあったので、タイに行くことはあまり人には言わずに出かけました。
実際はタイの感染者は日本よりも少なかった記憶があります。僕自身はタイに行くことへの抵抗はまったくありませんでした。
SARSだってⅯARSだってなんともありませんでしたからね。あの程度だろうと。
しかし、成田空港で見たのは予想外の光景。
空港はロビーも搭乗口もガラガラだったのです。
スワンナプームのイミグレーションやパタヤ行きのバスの中も同様でした。
しかし、もっとスゴかったのはウォーキングストリートです。
こんなに人がいないウォーキングは初めて見ました。
遠目に見ればまあまあ人はいるのですが、そのほとんどはお店の呼び込みです。
道を占拠している呼び込みを避けてポツポツ歩いている観光客らしき人達はほんの一握り、数えられるほどしかいません。
あれだけ列をなしていた中国人団体なども影も形もありませんでした。
ゴーゴーに入っても、どこもガラガラでした。
『Pin-Up』あたりは8割~9割ぐらいお客が入っていましたが、『Baccara』になるともう露骨に空いています。
めったに座れないステージかぶりつきのソファー席に座れてしまいました。
『Happy A GoGo』などはせっかく店を拡張したのにステージを半分閉めての営業でした。それでもけっこう席は空いています。
人気店でさえ、こんなありさまなので不人気店はもっと悲惨でした。
ふらっと入った1軒のゴーゴーなどは店に入った途端に店中のゴゴ嬢やスタッフたちの視線が突き刺さりました。カモを手ぐすね引いて待ってました感がスゴイ。
回れ右をしようかと思いましたが、それだけ注視されて帰る勇気はありませんでした。
席についてもステージ上はもちろん、客席で暇そうにたむろしているゴゴ嬢たちが猛アピールしてきます。
1人でも可愛いコがいればいいんですけど、1人もいないのがしんどい。
周囲を見ると僕が入ったときに2人ほどいた客もいつの間にか帰ってしまっています。
店の連中が僕に気を取られている隙に逃げたらしいw
こういう状況ってむしろモテて楽しいんですけど、この当時の僕は病気のせいもあってか、ビールを飲んでも不味くて楽しむどころではなかったのです。
だいたいどの店でもビール1本で出ていました。
今思えばもったいないことをしたなあと思います。
でも、このときはまさかその後2年以上も来れなくなるなんて思っていませんでしたからね。
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