市野澤潤平氏著『ゴーゴーバーの経営人類学』の内容をときどき感想などもはさみつつ紹介しています。
ゴーゴーバーの客層
市野澤先生がこのフィールドワークをしていた02年当時はゴーゴーバーでタイ人男性客の姿を見ることはほぼありませんでした。
当時、スクンビットエリアのゴーゴーバーのほとんどは、表向きタイ人男性の入店を禁止してしていたようです。従って客のほとんどが外国人でした。
現在はどうなのかというとよくわかりません。
シンガポールやマレーシアなどの中華系や中国人、韓国人も来るようになったので、ぶっちゃけタイ人がいてもわからないと思います。
だからタイ人男性入店禁止なんてルールは意味がありません。
でも、当時もこのルールが厳しく適用されているわけではありませんでしたが、お店でその姿を見かけることはありませんでした。
男性客の国籍別の人数は不明です。ただゴゴ嬢たちの印象としては最も多いのが白人男性で、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オーストラリアなどから訪れる客が目立つようです。日本人はそれに次いで良く見かけるグループとされています。
そして、それに次ぐ存在として日本以外の東アジア諸国(韓国、台湾、香港、シンガポール、中国など)もいたみたいです。その他、インド、アラブ系やアジア系欧米人などもごくわずかですが、いたと本書には書かれていました。
僕の体感としてはほとんど見たことないですけどね。個人的な印象としては、アジア人はほとんど日本人だったように思います。
そしてこれらの国から訪れる短期の観光客が、ゴーゴーバーの主要な客層となっています。そして、もちろんそれ以外に現地在住者もいます。
スクンビット地区
「スクンビット通りの起点からソイ21(アソーク)近辺までは、3つのゴーゴーバー密集地を中心として、タイを訪れる欧米人や日本人の男性をターゲットにしたセックスのテーマパークのような様相を呈している。」(本文より)
市野澤先生がフィールドワークの場所として選んだのがスクンビット地区でした。
確かに02年頃はパッポンのゴーゴーが廃れ始めていて、ゴーゴーバーの中心地はスクンビットに移りつつあったように思います。
そしてパタヤは当時、まだまだ欧米人の縄張りで日本人にはあまり認識されていなかったと思います。実際この時期の『G-Diary』の最強マップにパタヤが登場したのは03年です。
ちなみに「3つのゴーゴーバー密集地」とあります。
ナナプラザ、ソイカウボーイ、そしてもう一つはクリントンプラザです。
この頃、ナナからアソークへ向かう途中にあったゴーゴー村でしたが、いつの間にか出来ていつの間にかなくなっていました。詳しくは後に触れます。
スクンビット通りは最近ではすっかりキレイになっちゃいましたが、10年ぐらい前までは日中から歩道に露店が並び、歩くのにも苦労するほどでした。
ヒジャブ姿のアラブ系と思しきおばちゃんたちが買い物に夢中で邪魔なんだ、これが。みんな太ってるし。
夜は歩行者が渋滞となるため、夜店の照明の熱で汗をだらだら流しながら、おばちゃんたちに呪いの言葉をこっそり吐いていたものでした。
ソイ4のナナプラザの前にはナナホテルがあり、1階のディスコにはフリーの娼婦がたむろしていました。
ソイ3のグレースホテルやソイ15のクリントンプラザの隣にあるテーメーカフェもそんな出会いの場所として有名でした。
深夜になるとこういった場所には、あぶれたゴゴ嬢やMP嬢、カラオケのホステスも姿を現わして賑わいます。
このようにゴーゴーバーだけでなく、さまざまな施設がお互いに相乗効果を持って集客をしているのがスクンビット地区だったのです。
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