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性の第六感(続き)


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フリー画像です

 

昨日に続いて性の第六感について、です。

第六感とは触れなくてもわかるエネルギーで〝気〟のようなものを感じる力だという話を紹介しました。

 

別の心理セラピストはふだん自分が「感じたまま」を解放していくことが、その感覚を感じるうえで重要だと指摘します。

 

「宗教で「無我」とか「忘我」という言葉があります。「私」という領域を強く認識したままセックスをする人はセックスが上手くいきません。心理学用語で部分的自我のことをペルソナといいますが、セックスの目的はこのペルソナをゆるめてあげることなんです。ある有名なAV監督さんが「いんらんであることを受け容れなさい」と言っているのは自我を破壊しろということを言っているのです」

 

〝自我〟から解放される〝何者でもない自分〟という超意識とか集合意識と呼ばれる領域に到達できるのだと彼は説きます。

 

「五感で感じる気持ちいいとか心地いいという感覚にアクセスしているとき、人はその瞬間は自分が誰であるということは知覚していません。セックスはそれを連続性の上で重ねていく行為で、お互いに自我をベッドの上で忘れることなんです」

 

 

わかったようなそうでもないような。ただ、いつも僕がフツーにしているセックスとはどうも様子が違うみたいです。

 

そしてそうやって〝解放〟された状態になると、イメージやインスピレーションが降りてきたり、「何者でもない私」という理屈ぬきで他者とつながっている自分を認識できるのだといいます。やっぱりとてもオカルティックな印象を受けます。

 

また、男性の場合は男性は社会的にペルソナに縛られる場面が多いので抑圧が性欲として表れてしまいがちだそうで、それゆえに、AVのような性衝動本位のセックスに振り回されがちな傾向があるのだとか。

 

「性衝動をきちんと消化するためにはAVのようなセックスをすることも必要です。しまくった結果、それでは充たされないということに気づくので。AVセックスそのものが問題なのではなくて、男性がそういうセックスをしてしまう社会構造に問題があるのです」

 

AVみたいなセックスなんて理想的じゃん、なんて思ってしまう僕のような人間は自分のセックスを反省したほうがいいんでしょうねえ。

 

さすがに「穴があったら入れたい」年頃でもありませんw

良いエッチをしたいですよね。

一期一会という言葉が重い今日この頃です。