今週末はP活はお休み。
いや、入れようと思えば入れられないことはないのですが、来週に出費が大きくなりそうなのが1件控えているのと、金曜にメンエスに行ったばかりなので。
P活は7人と顔合わせをして2週目に入っています。つくづく思うのは、出会い系の環境がすごく良くなっているということ。さんざん書いていますけど。
90~00年代ごろの出会い系ブームを知っている人は昨今のマッチングアプリなんて近づきたくもないっていう人が多いのではないでしょうか。
まあ、僕の場合は懲りないので、2年ほど前にも出会い系で苦い思いはしています。
↓〝苦い思い〟の詳細はこちらのシリーズで。
昔の出会い系での嫌な思い出と言えば、やはり一番に挙げられるのはサクラだらけで無駄に課金ばかりさせられてちっとも会えない、というのが一番でしょう。
これがもう、とにかく会えない。まず会えない。
それ以前は〝援〟しますよー、と匂わせておけば、比較的ラクに女性に会えたものでした。事前に写真を見れるシステムがなかったので、すごいのを召喚してしまうこともありましたが、けっこうフツーの可愛いコもいたものです。
しかし、サイト側がサクラを使って課金で稼いだほうが儲かることに気付いてから、サクラが激増したんでしょうね、リアルな女子に会えることが激減したのです。
そして、出会い系を舞台にした犯罪も次々に起こったため、数少ないリアル女子はますます減っていき、頭のネジが何本か足りないのとか、いろいろワケありな人とか、そんなのばかりになって、ユーザー女子のクオリティも極めて悪くなったのです。
危ない人は以前からいましたけどね。でも、それは僕的にはひどい体験ではあったけど、話のネタにはなるという、ある種楽しみではありました。
でも、出会い系末期のそれは洒落にすらならないことが多かったんです。
酷かったのは、千葉の行徳で待ち合わせた30代シングルマザーで、待ち合わせ場所に行ったら乳児同伴だったケース。赤ん坊をソファーに寝かせた横でやることをやるという嫌な経験をしました。やってしまう僕も僕ですが、どうしてもお金が欲しいらしくて先方に押し切られたかたちです。楽しくも何ともなかったです。
あの時の子供、たぶんもう20歳を超えているんですよねえ。何をしているのかなあ。
さて、本題は出会い系がそんなふうになる前のお話です。
時期でいうと95~99年ぐらいでしょうか。おぼろげな記憶だけを頼りに書いているので、多少ずれがあるかも知れません。
出会い系のメディアはテレクラからQ2を経てネットに移行し始めたころです。
僕的にはQ2と黎明期のネットが一番楽しかった印象です。テレクラも面白いが人いっぱいいたけど、競争が激しくて打率は悪かったです。また、ネットの出会い系が増えていくとともにサクラも激増していったので、その間の時期が一番良かったですね。
その彼女と出会ったきっかけは伝言ダイヤルの掲示板でした。
掲示板って呼び方だったかどうかわからないけど、オープンメッセージが次々に再生される掲示板のような機能のチャンネルです。
彼女のオープンメッセージはこんな感じでした。
「21歳の学生です。5で会ってくれる人を探しています。太っても痩せてもいないです。ルックスは悪くないと思います」
メッセージで金額を言うのが普通だったのかどうか、思い出せません。
でも、僕が彼女に食いついたのは、「5」だからでした。
メッセージに援の希望額を入れるのがNGだったとしたら、2回目以降のやりとりの中でその金額が出てきたんだと思います。
(続く)
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