相変わらずリーは機械的にヌイてくれるだけで、それ以上のスキンシップを試みても、いつも拒絶されていました。
それでも通い続けたのは、当時他にハマっていたものがなかったからでしょう。
タイへは通っていたけど年末、GW、夏休みと年に3回でしたし。
僕とリーとの間には何事もなく、それでいて縁が切れることもなく、月日は流れていったのです。
約3年の月日が経ちました。
リーはとっくに日本語学校は卒業しており、秋葉原の店も辞めていました。
新橋の中国エステでママのようなポジションだった時期もありましたが、何をやって暮らしているのかわからなかった時期がかなりありました。
そういう時期はどうやって僕たちが会っていたかというと、リーの友達が働いている店に予約を入れる形で会っていました。おそらく、リーはその店では働いていないと思うのですが、その時間だけ個室を借りてマッサージをしてもらうというスタイルです。
店はいろんな場所でした。大島、小伝馬町、新橋、神田、笹塚etc……。
はからずも都内中国エステめぐりをする羽目になりました。女のコはいつもリーなんですけど。
場所がいくら変わろうとも、やることは同じです。オイルなし指圧のみのガチマッサージで終盤にちょろちょろっとHJのヌキがあるという。
タッチは許されず、いつもスカートの下には色気のないデカパンをはいていることが彼女のやる気のなさを物語っていました。お婆さんがはいているようなやつです。
それでも、なぜ会っていたのかというと、何となくトゥルーラブを感じてしまったのかもしれません。もちろん、そう感じていたのは僕一人ですけど。
なので、そのうちマッサージで会うだけでなく、デートのようなことも何回かしました。彼女が住んでいた西川口で会ったこともあります。もちろんそこで何かが起こるわけでもなく、リーのほうもしぶしぶといった感じでした。
そして、そのうちリーは同郷の友達と銀座で店を始めるとかで、そこでチーママとして働き始めました。みゆき通り沿いのテナントビルに入っているこぢんまりしたクラブですが、銀座は銀座。座れば2万、うっかりボトルを入れようものなら5万ぐらいは飛んでいく店でした。
2万、というのもたぶんまけてくれていたんだと思います。僕なんかがプライベートで飲みに行くような店ではありませんでしたが、月2回ぐらいのペースで通うことになりました。何でだ?
リーの友達であるママはなかなか太い客を持っているようで、店はけっこう繁盛していました。いつも似たような顔ぶれでしたが客は途切れませんでした。そして、僕とリーとの関係はマッサージすらしてもらう間柄ではなく、ただの飲み客と飲み屋の女になってしまいました。やがて僕は転職して給料がそれまでの半分ぐらいとなり、そんな店に行くカネも暇もなくなったことで、リーとの関係は自然と消滅してしまったかたちです。
昨年、久しぶりに中国エステに行き、あまりのサービスのハードさに面喰いました。
いろいろとエステ関係のブログなとを見てみると、中国エステの場合、店によっては本番なんて当たり前らしい。もちろん違法なんで表向きはNGです。
でもたぶん、僕が通っていた頃にも店によってはかなり過激なサービスはあったのでしょう。そう考えると僕がリーに費やした時間とカネは何だったんだろうという気もしてしまうのです。
でも昨年からのコロナ禍で、銀座の店はどうなったんだろう。
ナイナイ岡村の言葉じゃないけど、エステ嬢に戻っていたりして。行かないけどw