市野澤潤平氏著『ゴーゴーバーの経営人類学』(03年)の内容をときどき感想などもはさみつつ紹介しています。
本書に描かれているシチュエーションは20年前のものなので、金額などはそのあたり含みおきください
ゴゴ嬢の思考や行動も当時とはけっこう変わってきていると思います
ゴーゴーの仕事は「オクシモロニック・ワーク」である。
そんな小難しい言葉が出てきましたけど、ホスピタリティ産業でありながら、実際には通常のホスピタリティ産業とイコールではない、ってことでいいんでしょうかね?
MPのようにそれが性的なサービスであれ、男性客に一定のサービスを提供している業種はサービス業です。しかし、ゴーゴーの場合はバーガールと男性客の関係は風俗嬢とその客、という単純な関係では割り切れないんだそうです。
客はゴゴ嬢(その他従業員含む)と親密になることを通して、珍しい観光スポットやフツーではアクセスできない旅行体験ができます。それだけでなく、色恋にまつわるちょっとした〝冒険〟にまで触れちゃう場合だってあるでしょう。
つまり、単に「抜く」だけではなくて、お客が潜在的に求めている様々な体験へのアクセスを手助けする役割を果たしている場合があるのです。ゴゴ嬢はお客と仲良しな関係を作ることで、いろいろな満足感を提供しているともいえるのです。。
つまり、ゴゴ嬢はは単純なセックスを売っておカネを貰っているのではありません。
彼女らはしばしば「あなたを愛しています」などと、トゥルーラブっぽい演出をかまします。客はその演出込みで非日常なさまざまの経験を堪能し、サイフの口を緩めます。
つまり、客が対価としてカネを支払っているのはマニュアル化されたサービスではなく、自分のためにカスタマイズされた〝ゴゴ嬢個人的な関係〟だといえるでしょう。
ぶっちゃけ、「抜く」のであればMPやエロマ、もしくは置屋のほうが全然コスパは良いです。しかし、ゴーゴーへ来る男たちは単に「入れて出す」だけではなく、ゴゴ嬢との〝関係〟を求めてやってくるのです。
そのニーズに応じるために、ゴゴ嬢たちは客に対して愛想を振りまいているのだとすれば、彼女らは現代の先進的な企業が行う「関係性マーケティングにおける顧客管理」と同等のスキルを持っていると言えます。
でも、もちろんそんなわけはありませんよねw
それは、ゴゴ嬢が男性客に提供している〝親密さ〟は、計算や演出上のそれではない場合のほうが、多くの経済的な効果をもたらす場合が多いからなのだそうです。
計算づくのやつって見え見えですもんね。
本来であれば男性客と親密になる(ふりをする)ことは、より多くのカネを引き出す手段としてのステップに過ぎません。
そして、必要以上に私的に親密になることはコスパ的にははっきり言ってよくないはずなんですけど、実際には本当に親密になったほうが、いっぱい稼げるのだ、と市野澤先生は言っています。
本来はビジネスライクな間柄であるはずのゴゴ嬢と客の関係に感情的なものがさしはさまってくることはよくあります。それは対面でコミュニケーションしている以上はいたし方のないことです。中でも接触の度合いが深くて、厳しく管理する人がいなければ、より感情がさしはさまる余地があります。
商業的性交渉というきわめてプライベートに属する領域では、相手に対して、より〝情がわく〟事態となってしまっても不自然ではないのです。
ここ10年以上の間、僕はいわゆる〝ちょんの間〟的なものには興味がありません。最近は物理的に球数に限りがあるってこともそうなんですけど、やっぱり入れて出す前に何らかのストーリーがないと寂しい気がするんです。
だから、〝踊る置屋〟と称されるようなレインボー系の営業スタイルを批判する向きには非常にも共感できます。それでもレインボー系、好きですけどね。
ここで言っているのは、仲良くなってご飯を食べたり、現地の人しかしらないような場所へ連れて行ってもらったりも含めてゴーゴーの体験ということなんでしょう。
でも、それってカラオケなんかでも出来そうな気もします。MPとかでもタイだったら出来そうな。
でも、日本ではどうなんだろうかと考えてみると、ゴーゴーバーはないのでわかりませんけれども。キャバとかクラブとかの女のコと、いろいろ仲良くなるには、やっぱりゴーゴーとくらべると、かなりハードル高そうです。
だから、親密さがマニュアル的なところを超えてしまうのは、ゴーゴーに限らずタイの夜のお店全般に言えそうにも思うのです。置屋ですらがっつり拘束されていなければありえるような。行ってないからよく分かりませんけどw
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