昨日の続きです。
「ゴーゴーバーはフーゾクとしては決してコスパが良くない」と書きました。
www.sergeant-gogo.com(余談ですけど、この記事はgoogleからお叱りを受けて広告を載せてもらえませんでした。写真が原因なんですかねえ?こんなにボケボケなのに。検索流入0のくせに文句だけつけるな)
では何で僕はゴーゴーに通い続けるのか。
コスパが悪いんですから、えっち一択ということはありません、
じゃあ、何で?
一生懸命考えて、おおむね次のような理由が思い当たりました。
1.「選択の自由」があり、楽しみ方の幅が広い
2.「未遂」の喜び
3.「不確実な取引」のスリル
とりあえず思いついたのはこの3点です。
順を追って説明してみますね。
1.楽しみ方の幅が広い
これに関しては、昨日の記事でも少し書きました。
ゴーゴーバーはその日の気分でさまざまな楽しみ方ができる場所だということ。
ママさんはペイバーさせまくるのが一番ラクに稼げるし、嬢もときどきはペイバーされ
てチップをもらわないと生活が成り立たないので、さかんにペイバーをすすめてきます
けど、「見るだけ」「お話するだけ」で、全然良いのです。
「見るだけ」「お話するだけ」なら、コスパは悪くないと思います。
ただし、営業熱心な店はさかんに嬢を売り込んで連れ出させようとするので、
かまってくれない店を探すのがちょっと大変です。
移転前のレインボー4は比較的放っておいてくれる店でした。
パタヤはわりと放置気味の店が多い気がします。
Baccaraなんかも〝ホステス〟と呼ばれる連中はウザいですが、嬢は(忙し過ぎてor気位
が高すぎて)あまりかまって来ません。
2.〝未遂〟の喜び
イベントごとって計画を立てて、あれこれシミュレーションしているときが、一番楽し
くないですか?
いろいろ決まったあと、計画を実行に移すときって意外とドキドキしなかったりしま
す。やはり、あれこれ妄想しているうちは決して痛い目には遭いませんし、ツラい経験
をすることもないのです。
妄想は永劫のぬるま湯。
僕はゴーゴーバーで嬢を肴に酒を飲みつつ(最近は飲めませんがw)、
いろいろ妄想するだけで満足しちゃうことが多いです。
その先を体験してしまうと、5割以上の確率でがっかりすることになります。
ここで止めておけば、がっかりすることは100%ありませんからね。
こんな遊び方が許されるのはゴーゴーぐらいではないでしょうか。
おしゃべりが好きな人ならフツーのクラブでもいいかもしれません。
でもエロマやMPでこれをやったら変態扱いされますよね。
毎回ペイバーできるような剛の者に憧れますが、無理だなあ。
あ、でも若い頃はまあまあイケイケだったんですよ(てへぺろ)。
3.「不確実な取引」のスリル
これは2番とは逆の要素です。
僕がそのうちレビューで取り上げたいと思っている本の一つに、
ゴーゴーバーの経営学的な側面について書いた本があります。
学術論文なんで、2回ほど目を通しても意味の半分ぐらいしか入ってきません。
なので、正しい解釈なのかきわめて自信がないのですが、
「ゴーゴーバーの価格設定は市場経済の原則ではなく、バザール〝的〟な経済の理論に
よって形成されるものである」というような内容があります。意味わからんでしょ?
つまり、需要と供給によってシステマティックに価格が決まるのではなく、
少ない情報量で競合相手がひしめく中で嬢と客が「サービス」という不確定な商品を相
対取引するとき、大きな要素になってくるのは嬢の気分と行動だというのです。(間違っていたらごめんなさい)
雑にまとめてしまうと、嬢の気分次第で価格以上のサービスを受けれてしまう機会も多いということ。
もちろん、期待外れとなる可能性があるのも上で述べたとおりです。
面白いのは、呼んでも絶対に来ない嬢とかもたまにいるんですよね。
コヨーテでもないのに。本人が拒否ってるんだと思います。
まさか……、僕だけ?orz
まあ、そういったワガママが許される店もあるってことです。
ペイバー後のチップも、店が決めている場合が多いですが、もともとは嬢と交渉できる
ものでした。時間によってタイムサービス的な価格があったり、気に入られると少し安
くしてくれたり。面白くないですか?
・おわりに
元記事を見つけられなかったのでリンクは貼りませんが、
バンコクのゴーゴー経営者の「ゴーゴーバーは70年代をピークに衰退の一途をたどっている。今回のコロナで一掃されてしまうのではないか」という趣旨のコメントを見ました。
これは、バンコク、しかもパッポンぐらいしか当てはまらないと思います。
たしかに中国人が大量にパタヤに行くようになった10年代から現在に至るまで、
ナナやソイカは徐々に寂しくなったような気がします。
しかし、パタヤは上り調子だったし、ナナやソイカも00年代まではかなり賑わっていました。今でも閑古鳥が鳴くレベルではないと思います。
早く訪れられるようになる日を待つばかりです。