(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});

『バンコク恋愛事情 愛タイ!』レビュー(6) ~相手を疑わないこと、それがレンアイの掟~


スポンサードリンク

f:id:tbrazil:20200317142355j:plain

帰りの空港ではいつもブルーです。(20年3月)

 

 

『愛タイ!』最終章です。バンコク滞在を終えて空港へ向かう著者。遠足の帰りはやはりブルーになるもので。

 

バンコクから帰国する日はいつも憂鬱な気分になる。便が早朝発のアメリカ系航空会社だったりすると、なおさらだ。

空港チェックインは早朝5時。夜中の3時には起きて荷造りをしなければならない。暗がりの中で、洗面用具やら、バンコクでかいた汗が染みついた服やらを手あたり次第キャリーバックに詰め込む。雑然と散らかっていたホテルの部屋がガラ~ンとした感じになっていくのを眺めていると、なんだか一抹の寂しさを感じたりもする。

  

僕もこの当時はアメリカ系航空会社をよく利用していましたので、この感じよくわかります。LCCとかもまだあまりなくて、アメリカ系航空会社が直行便で一番安かったんですよね。でも5時発の便で3時ぐらいにチェックアウトしなきゃいけなかったような。

 

空港に着いた著者は日本人旅行者が集まる航空会社にカウンターで涙の別れを演じている男性と風俗嬢を目撃します。

「ツギ、イツ来ルデスカ?」

「5月の連休、すぐにまた来るよ」

「ア~キットゥン、キットゥン。(会いたい、会いたい)長イナ~!ワタシ、寂シイナ~!」

感極まって抱き着く女。

「マタ、電話ナ。日本ニ着イタラ、ワタシニ電話スルナ」

「うん、すぐに電話するよ」

「ゼッタイナ、ゼッタイ電話スル、ナ?」

女の目からこぼれ落ちる大粒の涙。

 

 

気づけば似たような光景が出発ロビーのあちこちで展開されていました。

バンコクでつかの間の恋人気分をエンジョイした日本人の多くが期待する感動のエンディングシーンです。女たちもその期待に応えてくれますが、無償ではないみたいです。

 

吉沢(タニヤ編に登場)の場合……見送りに来てくれたタニヤ嬢にタクシー代+500バーツもあげればいいかとおもっていたところ、「せっかく空港まで来たからこの近所の親戚の家に遊びに行く。だから店に休みのペナルティを払わなければならないのにこれでは足りない」とゴネられ平謝りする羽目に。

彼女らの見送りはあくまでチップ目当ての営業で、涙の別れの後、到着ロビーで笑顔で別の客を出迎えることもしばしばだと著者は言います。

だからといって、その涙を疑ってはいけないのだ、とも著者は述べています。女を信じることで〝レンアイの病〟が重症化することは必至ですが、人間、病にかかっていたほうが、結果、幸せなこともあるのだ、と。

そして、幸せな男たちの例を挙げています。

 

野田君(ナナプラザ編に登場)の場合……すっかりレインボー2の35番が気に入ってしまった野田君。「彼女が美味しいというから」とタイ人にも難易度の高いイサーン料理のソムタム・プラーを注文し、「美味しいですよ」とギブアップした著者らをよそに一人で食べる。しかし、目に涙を浮かべ、唇を痙攣させつつ食べるその様子は、けっして美味しそうには見えないのだった。

 

斎藤(ソイ・カウボーイ編に登場)の場合……あれからソイカに通いつめ、4回目の来店でようやく女子大生のペイバーに成功。嬉し過ぎて著者に電話してくる。
「今夜はたっぷりヒイヒイ言わせて、腰立てなくさせてから放り出してやりますよ。うへへへへ」と得意になっていたが、1時間後、「部屋に来て欲しい」と言うので著者が部屋を尋ねると、股間を大きくさせた状態のままの斎藤が。
どうしたのか尋ねると、バイアグラを飲んで張り切っていたら、女子大生はシャワーの途中で生理が始まったと言って何もせずに帰ってしまった、と言う。明らかに嫌われているのだが、斎藤は「生理じゃしょうがないよなあ」とか、「次は生理じゃないときに、今日のぶんも含めて攻めてやりますよ」とあくまでポジティブなのだった。

 

「愛するってのは、信じることだよ」と言ったのは、タニヤ編登場の村松さんでした。その言葉通り〝至上の愛〟とは、相手をとことん信じて疑わないことなんだろうなあと感慨を新たにした著者なのでした。

 

信じ続けるのが愛の証。金で買った疑似恋愛といえども、その基本は変わらない。バンコクは、自分がそこにいるときだけ存在する夢のパラダイス。バンコクの疑似恋愛ワールドに浮遊する男たちは、いわば竜宮城で夢心地のまま遊び惚ける浦島太郎のようなものと考えていいだろう。帰りにはみんな、乙姫様から「疑い」という名の玉手箱を持たされることになる。それを開けてしまえば、すべてはジ・エンド。しかし蓋を開けない限りは永遠に夢の世界で遊ぶことができるというわけだ。

 

 

最初は著者のあくまで自分は傍観者なのだ、という目線が鼻についたところもありましたが、最終的には著者が第三者目線で狂言回しに徹したことで、タイにハマる男たち像が鮮明になったようにも思えました。それぞれの盛り場の描写などを見るに、著者自身タイの夜の街に愛がないわけではないのが伝わります。

まあ、ちょいちょいオーバーな描写があったり、作ったっぽいストーリーになっている部分はありましたが、それなりに楽しめたかな、と。

ちなみに僕は思いっきりすべてを疑ってかかるようになっちゃってますけど。

これでは〝愛〟は手に入らないのかなあ……。