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『ゴーゴーバーの経営人類学』をやさしくまなぶ ②タイのセックス市場 の規模と歴史


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『Pin-Up』(facebookより)



 

教科書みたいなタイトルですけどもとの本が大学の教科書みたいな本ですので;;

 

さて、みなさんご存じのとおり、タイのセックス市場は大きいです。

そして、ジャンルも多いです。日本もフーゾクのジャンルはたくさんありますのでさほど、世界的に見てもかなり多い方だと思います。たぶん。

 

これ、タイの真面目な人は怒る案件ですけど、やはり裏観光名物なのは事実でしょう。

では、その性産業の主役である〝売春婦〟はどれぐらいいるのでしょうか。

 

過去の調査によると、〝売春婦〟の定義の違いによってかなりひらきがあるようです。

ガチのプロではない人が多そうなのは、タイを訪れた経験のある方ならお分かりかと。

 

ある資料では15万人から20万人、1年の間には20万人から30万人の女性が働いているの だそうです。日本がたぶん30万人台だったと思うので、人口を考えるとやっぱり多いですよね。

 

また、タイの経済学者であるポンパンチット教授らによると、93~95年に性産業が生み出した経済効果は1000億バーツで、当時のタイのGNPの2.7%に相当するのだとか。

 

最近の観光収入のGDP比が20%ぐらいです。

この20年で観光収入は相当伸びているので、なかなかな割合だと思います。

 

タイの性風俗の起源は19世紀の後半、中国からの移民が急増した時期に貿易港として栄えていたサンペン地区なのだとか。

この地域には中国系移民の男性が多く住んでおり、彼らのニーズにこたえるために性産業の一大密集地域が出来たのだそうです。

 

そしてそこで働く女性の多くは、やはり中国系移民でしたが、やがてタイ人女性も増えていきます。

ではタイ人たちはそもそもどうしていたんだという疑問が残りますけど、歴史に書かれている範囲ではこういうことなんでしょう。

 

男がたくさん働く場所に風俗街が形成されるのは、他の国でもよくみられるパターンで、昔の江戸なんかもそうですよね。

タイでは1995年に奴隷制が廃止され、行き場のない奴隷たちが性産業になだれ込んだのも、風俗街発展に追い風となりました。

こうして20世紀の初めには売春は政府公認となり、さらに発展していきます。

 

このように発展してきたタイの性産業は、国内向けのものでした。

それが一大転機を迎えるきっかけとなったのがベトナム戦争です。

 

1966年にタイとアメリカの間で結ばれたレスト&レクリエーション条約によって米兵の休憩および娯楽基地としての役割を与えられたタイでは、風俗街は外国人向けのものとして、一気に花開きました。

 

当時、北爆のための空軍基地の一つが置かれた北部ウドンタニでは1966年には1246人だった売春婦が74年には7000人を超えていたというデータもあります。

 

戦争期間を通して、ベトナムからの米兵が押し寄せることとなったタイでは、米兵目当てにアメリカンスタイルのバーが乱立することになりました。みんな大好きゴーゴーバーやバービアが誕生したのです。

 

 

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