本日のテーマは『発禁本』です。
3日前のネタ、まだ続いています。お勉強ノートです。
また。アクセス落ちそうだなあ。
↓これが前回の記事です。
【Lesoon1.】発禁本とは
新聞紙法、出版法により定められた検閲に引っかかって『発売・頒布の禁止』を言い渡された作品。江戸時代以前に時の政権によって禁じられた本や、戦後はGHQの検閲や刑法175条の『わいせつ物等の頒布』の罪にて摘発されたものも含める場合もある
【Lesoon2.】江戸時代の発禁本
・ 江戸中期を代表する戯作者の山東京伝は1791年洒落本3作が禁令を犯したとの理由で手鎖50日の処分に
・恋川春町は1788年に執筆した『鸚鵡返文武二道』が定信の文武奨励策を風刺していると幕府に呼び出し
・1830年からの「天保の改革」ではさらに風俗取締りが強化。人情本の為永春水や柳亭種彦などが処分される
【Lesson3】明治~終戦まで
明治末期、出版法、新聞紙法成立→検閲制度の確立
取締基準:安寧秩序を乱し風俗壊乱するもの
→年々厳しくなる。一度検閲をパスしたものも発禁に。
→検閲以外の〝削除〟という処分も。
社会科学系、自然主義文学など、狙われるジャンルは多々。
昭和13年からさらに厳しく
【lesoon4】戦後のあだ花、カストリ雑誌
終戦直後の混乱期に多くの男たちが手に取ったという主に性的な内容の雑誌。製本が粗く、紙も粗雑なもので、3号程度で廃刊となる短命さから3合で酔いつぶれるカストリ酒にかけて「カストリ雑誌」と呼ばれた。1冊20円~30円(当時は銭湯が10円)で、屋台で売られていた。昭和のエログロナンセンスの後継的な存在ともいわれる。
『猟奇』第2号(1946年12月5日発行)…戦後初のわいせつ罪による発禁となる。
その原因と言われる「H大佐夫人」は不倫を描いたもの。
紙の高騰などが原因で姿を消す。
後にSM雑誌となる『奇譚クラブ』『あまとりあ』などもこの系譜
【Lesoon5】芸術と猥褻のあいだ
森鴎外「ヰタ・セクスアリス」…明治42年、雑誌「スバル」に掲載。思春期の少年の性の目覚めを描いた作品で、「スバル」は発禁になった。三島由紀夫「仮面の告白」のモチーフになったという説があるほど、文学的作品としての評価は高い。
「チャタレイ夫人の恋人」…日本では1935年に伊藤整が初めて訳して出版した。1950年に無修正版を出版した2か月後、警視庁から摘発を受け、1957年に最高裁で敗訴、絶版となったが、1996年に削除部分も掲載した完全版が出版されている。
性描写が露骨で卑猥だというのが発禁の理由で、当時は海外でも発禁になっていた。
「悪徳の栄え」…1959年に翻訳された小説。一審ではチャタレイ判例の三要件のうち、二つしか満たしていないと無罪。しかし、二審で逆転敗訴し、最高裁へ上告したが棄却された。
「四畳半襖の下張り」…1972年に野坂昭如が雑誌「面白半分」に掲載、これについてわいせつ物販売にあたるとして起訴された。著名作家らが続々と証言台に立ち、注目の裁判とばったが、一審、二審は有罪、最高裁に上告したが棄却された。
わいせつに対する司法の判断基準が、この裁判で確定したと言われている。
すなわち、「チャタレイ事件」で示した三要件、
- 徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、
- 且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し
- 善良な性的道義観念に反するものをいう
である。これに照らし合わせた結果として、本件を「わいせつ」だとしたのです。