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華原朋美波乱万丈


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msn.comより

 

 

華原朋美が先月31日付けで所属事務所を退社したことが報道されています。

華原が所属事務所を退社するのは2度目。07年には体調不良ということで仕事のドタキャンなどが相次いで事務所から契約を解除されています。

 

スポニチの取材に華原は「フリーになりたかっただけ」と答えたそうです。

今回の退社に関して所属事務所は「本人の申し出」とコメントしていますが、どうもいろいろと最近の彼女の行状を調べてみると、事実上の解雇のようです。

所属レコード会社との契約も終了しており、引退かとも言われています。

 

17年にレギュラーを務めていた番組が相次いで終了し、その姿をみる機会が減っていました。また、18年ごろから、事務所との間で活動方針の違いをめぐってギクシャクしているとつたえられています。

昨年に45歳で第一子を出産。父親は外資系企業の社員と伝えられていますが、詳細は不明。最近では高嶋ちさ子が紹介したベビーシッターが子供を虐待したと主張して、不仲になっていることが報じられました。他にも車で物損事故を起こして逃げ、その際の挙動が不審で取り調べを受けたり、3月には群馬県フェラーリを大破させたことなどが報じられました。

 

 

彼女のこれまでの半生は華々しい芸能活動と破綻が繰り返されるという縞模様に彩られたものでした。

’95年のまだ彼女が前の芸名である〝遠峯ありさ〟だった時代に小室哲哉との交際が発覚、〝小室の彼女〟としてデビューします。

小室哲哉は決して色ボケしたわけではなく、彼女の才能は確かなものでした。

デビューするや、ミリオンヒットを連発しその年の新人賞を総ナメ、年末の紅白のステージも、小室の伴奏で立ちました。当時は恵比寿のビルの最上階をワンフロア借り切って同棲生活をしていたといわれています。

96年~98年は絶頂期といっていいでしょう。ドラマやCMのオファーは引きも切らず殺到し、〝小室ファミリー〟の中心的存在でした。globeの楽曲にコーラスで参加したり、安室奈美恵のデモテープで歌うなど、小室プロデュースのアーティストたちとは濃密に関わっています。

松浦勝人は彼女の成功にインスパイアされて、ELT持田香織浜崎あゆみをプロデュースしたといわれています。

 

しかし、多忙な日々の陰で華原にまつわるあまり芳しくない噂が囁かれだしたのもこの頃でした。

「エイベックスがVIPだけを招いて夜な夜な開いているパーティで、全裸でふらふらしている女がいたのでよく見たら華原朋美だった」等々、薬物関係の噂も出ていました。小室とその周辺もぼちぼち彼女を見限り始めている、とも伝えられました。

 

 

華原朋美が毎晩乱痴気騒ぎをしている」そんな情報で取材に行ったのはこの頃だと思います。都内の下町エリアんいある彼女の実家近くでみていたところ、深夜2時過ぎにも関わらず、カラオケがガンガン聞こえてきます。

その音量、実家がある路地を出た交差点付近まで聞こえてくるほど。なかなかの音量。そして聞こえてくるのは聞き覚えのあるスーパーソプラノボイス──、華原の声です。

なぜか歌っているのはglobeの『FACE』でした。

通りすがりの女子高生も「あっ、朋ちゃんだ!」とキャーキャー騒いでいます。

そしてさらに近寄って見てみると、実家のビルの1階は飲食店か何かだったと思うのですが、ガラス越しに椅子の上に立って飛び跳ねながら、ハイテンションで熱唱する華原の姿が。〝朋ちゃんオンステージ〟は4時まで続いたのです。この近所の人はさぞかし迷惑だったでしょう。

 

年が明けて99年の1月、実家で料理中に倒れたというニュースで世間は騒然となりました。一時は意識不明の重体でガス中毒と発表されました。

その一方で、実は睡眠薬の大量服用だったともいわれています。

「やきそば作ってました」と言い張った華原だったが、スポーツ紙の見出しには「自殺未遂」の文字が踊りました。

このとき、年明けから休養していたこと、小室と破局したことが明らかになりました。

この年の5月に事務所を、先日退所した事務所へ移籍。復帰会見を行ったものの、すぐに倒れて入院しました。翌6月には再度の復帰会見を乗馬クラブで乗馬服姿にて行いました。質問に「朋ちゃん、もう元気です‼」と明るく答えていた彼女ですが、その姿はどう見ても元気ではなく、かなりの人がドン引きしていました。

24歳とは思えないほどくたびれたその姿は、彼女が負った精神的なダメージの酷さを物語っていました。そして00年に彼女はまた長期休養に入ります。

 

 

休養中の00年から01年に「進ぬ!電波少年」の企画で全米デビューを目指して、アメリカでアルバイトや自炊をしながらデビューを目指す姿がオンエアされ、支持されます。01年1月に全米デビューを果たし、帰国して凱旋ライブを行いました。

しばらくは順調に芸能活動をしていた彼女ですが、06年ごろから再び薬物に依存んするようになったといわれています。気管支炎という理由で07年1月から4月まで休養、5月に復帰しましたが、仕事のドタキャンなどが相次ぎ、所属事務所から契約を解除されていまいました。

この時期にも、男性ネタで彼女を追っていた同僚がいましたが、僕は直接担当していなかったので詳細はわかりません。

その後、10年に意識がもうろうとなって緊急搬送、当時は日常生活も破綻していたといわれ、家族の判断で閉鎖病棟に入院していた時期もありました。

 

海外で暮らしていた時期もあったようですが、11年に帰国し以前の所属事務所と再契約することができ復帰を果たします。それから17年まではテレビやラジオにレギュラーも持ち、音楽活動も再開していました。

近年では旧皇族の出の政治評論家・竹田恒泰氏や、飯田グループGHBのGHB森和彦会長などとの交際が報じられていました。

 

なぜ、彼女は〝あちら側〟の世界とリアルな社会との間を行ったり来たりし続けるのでしょうか。

そして今度こそは、もうこちら側に帰ってくることはないのでしょうか。