過去の書き物を漁っているといろいろなものを発見します。
今回はシャーデーと初めて出会った夜のことを書いたメルマガを発見しました。
この話は「シャーデーのはなし」ですでに書いていますが、リアルタイムで書かれたものを見ると、細かい部分がかなり違っておりました。
違っていた部分はあるていど訂正済みですが、あらためてこの夜の出来事を書かせていただきます。
注(21年11月加筆)……「シャーデのはなし」は「よるのたび バンコクナイト」にリライトしました。
↓こちら
相変わらず年始、GW、お盆と年に3度の長期休暇はタイで過ごしています。
パスポートをみた入国管理官が何か運んでると思うくらい通ってます。
これではタイ好きと思われても仕方がないのですが、 実は周囲が思っているほど僕はタイ好きではないと思います。
いえ、もちろん嫌いじゃあないですよ。
タイ、というかバンコクの良いところは一人で何もせずに、比較的楽しく過ごせる。
「何もせずに」とはいっても、本当に何もないのはあまりに寂しいわけで。
例えば、自然に恵まれ過ぎたビーチなどの夜の長さはつらいです(笑)
やはり夜が楽しいということか。
しかし、実は今回のお休みはあまり行く気はなかったんです。本当。
しかし、職場の後輩(男3名)が行きたがりまして、 その引率ということで行くこととなったのです。まあ、いつもは一人だしたまには大勢で行くのも悪くはなかろうと。
刺すような強い紫外線が恋しくなる季節でもありますしね。
実は、2000年も2001年も年越しはバンコクのゴーゴーバーだったんです。 何やってんだか(笑)。
アルクホールで朦朧とした意識の中、 異国、一人ぼーち、カウントダウンとクラッカー、裸の女のコたくさん。少し哀しく、だけどとても楽しい。悪くはないですよね。
そんなわけで、12月27日に成田を発ちました。
たまには団体行動もいいものです。
他人の行動につきあっていると、時間が経つのがはやいことはやいこと。
いかにふだんのオフに単独活動しかしていないかということを実感いたしました。
ゴーゴーバーに入り浸っている時間が、 ふだんの四分の一くらいだったのが不満といえば不満でしたが。
で、今回のみやげばなしでは、2002年の年越しのお話を本編ではさせていただきたく。
おかげさまでかなり波乱に満ちた年明けを迎えさせていただきました。
話は前日12月30日の夜にさかのぼります。
夜の11時頃、僕は連れの野郎とパッポンのゴーゴーバーにいました。
パッポンといえば東南アジア随一の歓楽街。
ツアーで「ゴーゴーバーに行きたい」とえば、まず連れて来られるところです。
ちなみに僕のホームグラウンドは少しはずれたナナという場所であります。
フリーの観光客がガンガン来る分、パッポンのほうが女のコの質・量は上。
しかし、迂闊なやつからは搾るだけ搾ってやろうとゆうハードな営業多し。
そんな「野生の王国」です。 これまで3~4回しか来てませんけど。
でも、以前お持ち帰りしてホテルの部屋で、いざこれからというときに前払いをせがまれたことがありました。
いちおうそういうのは事後、というのが基本です。だから断ったんですが、その途端に女のコが般若の形相になったという思い出は少しトラウマかも(笑)。
で、払うものはとりあえず払いましたけれども。
口惜しいからその女のコをそうとうねちっこく責めてやったんです。
そいつもかなりやばい感じに感じていたようでした。
で、挿れてさらにねちっこくかつ激しく突きまくってヒイヒイ言わせてやったんです。
しかし僕も気持ちよくなってしまってフィニッシュ。
僕がイッたとわかった途端、その女、何と「勝った」とばかりにガッツポーズしやがったんですよ。「SEXも闘い」それがパッポンの掟なんですね(そうか?)。
説明が長くなりました。
何軒目かに4人で入ったゴーゴーバー。
時間はすでに11時を回っていました。
めぼしいコはすでに連れ出されてしまったのでしょう、ステージで踊る女のコの人数もやや少な目で、もうひとつパッとしません。
そんなとき、カウンターで飲んでいた僕らの隣で私服を来た女のコ二人連れが飲んでいるのに気が付きました。
(続く)
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